教授からのメッセージ

教授からのメッセージ

Interview

医学を志されたのはいつ頃ですか。

 小学校の頃ですね。私は鹿児島県大口市(現伊佐市)という田舎町に生まれ育ちました。子供の頃は体が弱く、よく開業医の先生に往診に来て頂いていました。学校の先生以外で接点を持った最初の専門職が医師だったのです。そんな中、一番印象的で大きなきっかけとなったのは、兄が風邪をこじらせた時のことです。夜中に往診に来た先生は、診察し「入院した方がよい」とそのまま兄をご自分の車に乗せて連れて帰ってくださったのです。兄は入院し、元気になって帰ってきたのですが、私は子供ながらにその先生をとても頼れる存在に感じたんですね。
 とても素朴で純粋なきっかけで医師になろうと思いました。
 その先生は、医師を目指す私の学習環境を整えるために、中学三年生から高校一年生までの間、先生のご家族が住む鹿児島市のご自宅に下宿させてくださいました。私の家族や親戚には医療従事者がいなかったのですが、その間に医師の生活というものを感じることができました。大学に入学するまで、僕は開業医になることしか思っていませんでした。
 

北園先生は九州大学のご出身でいらっしゃいますが、九州大学を選ばれた理由をお聞かせください。

 九州で一番いい大学に行きたい。そんなシンプルな理由です。
 高校の先輩も九州大学に進まれていましたし。ごく自然に九州大学を選んでいました。入学したときは嬉しかったですよ。一番の希望の大学に入学できたのですから。
 

どのように学生生活を過ごされましたか。

 大学時代は楽しかったですね。当時の医学科は入学後2年間、六本松のキャンパスの教養部で一般教養科目を学ぶため、私は梅光園のまかない付きの下宿屋さんに、法学部や農学部、理学部など学部の異なる合計6人で下宿していました。
 毎日誰かの部屋に集まり、夜遅くまであれこれ話していましたね。遅くまで騒いで大家さんに注意されたこともありました。年に2回くらいは大家さんが宴会をひらいてくださり、大家さんとも一緒に飲みましたね。
 大学の一般教養の授業では、レベルの高い知識をコンパクトな時間で教えてくださり、受験勉強をやっていた高校の頃と比べると格段に素晴らしい時間でした。理系科目では実験も充実していましたね。私は高校では世界史をとってはいませんでしたが、大学の選択科目で西洋史の講義をとってみました。中世ヨーロッパの魔女狩りについて教えていただきました。魔女狩り自体は非常に不幸な歴史ですが、先生はそこに至る時代背景などを話してくださり、とても印象深く感じたことを思い出します。
 医学のみならず専門の勉強は一生続いていきますが、このように自分の教養のためだけに勉強できる時間は、とても贅沢で貴重なものだと思います。年をとった時にきっとそういう知識が欲しくなる。専門の勉強を進めていく上でもバックグラウンドにこのような知識があるのとないのでは違うと思います。

 3年になってからは、病院地区で専門科目の授業を受けるために、下宿屋さんからアパートへ引越したのですが、キャンパスがある馬出地区ではなく、下宿屋さんで一緒だった仲間たちと同じ箱崎のアパートに住んでいました。4年間で医学の専門教育科目を学ぶため、忙しかったのですが、やっと専門を学べると思って、やりがいを感じてもいましたね。そんな中でも下宿時代の仲間とは同じように仲良く付きっていました。あの頃の仲間と会う機会はなかなかありませんが、今でも年賀状のやり取りだけはしています。
 5年生の臨床実習の外来実習で、患者さんに初めて接しました。白衣を着て聴診器を買い、医師になるんだなと、不安もありましたが充実した日々を送りました。
 

現在の専門に進まれることを決められたのはいつ頃で、そのきっかけをお聞かせください。

 私たちの頃は医学科卒業と同時に医局に入局していましたので、5,6年生では自分の進路を真剣に考えました。医師を目指すきっかけになった田舎の先生の影響もあり、基本は内科系に進もうと思っていましたが、大学で学び、特に循環器系、心臓、血管に興味を持ち、それについての専門医になりたいと思いました。これはいろいろな病気を勉強して感じたことです。それで、より幅広く循環器系の病気を研究している第二内科への入局を、6年生の10月に決めました。

 入局後2年間は研修医として全ての疾患を勉強しました。第二内科には8つの研究室があり、2年目の終わりに更に細かい専門を決めていくのですが、私は脳卒中に決めました。それは第二内科のある先輩が「これからは脳の時代だ」と勧めてくださったからだったと思います。専門を脳卒中と決めたのですが、当時の教授でいらっしゃった藤島正敏先生に3年目からは大学院に行って基礎医学研究を行うようにというご指示を受けました。それで3年目からは大学院に進学しました。

 大学院では生化学の教室で勉強させていただいたのですが、始めは、あまりにも研修医と違う生活に面喰ってしまいました。研究そのものが、何をどうやっていくかのイメージもわかず、教官の先生方や先輩の大学院生がミーティングで話している内容もわからない。すごく戸惑いました。論文を読むように言われても、初めて読む英語で書かれた生化学の論文は難しく長い時間がかかりました。それでも研究テーマが決まり、どうやって研究をするのかを教えてもらい、そして自分で勉強をしながら、だんだんと研究というもののスタイルがわかっていき、なんとか3年目の始めに研究データが出て論文を書くことが出来ました。
 論文を書き終えて、ホッとしたのと同時に「研究という分野」を本当に面白いと感じました。大学院卒業後は二内科に戻って脳卒中の臨床に従事しました。忙しい脳卒中急性期医療に携わりながら大学院での基礎医学研究の経験を脳卒中の研究に活かしていきたいと考えていました。診断も治療もすべての根源には人間の体、すなわち臓器や細胞の機能があり、それを生化学的にはっきり解明しないと病態の本質がわからないと思っていたからです。基礎医学研究があってこその臨床医学研究であり、直結というのはなかなか難しいのですが、その橋渡しとなる人間が大切であると思いました。私はその後、米国に2年半留学し、基礎医学研究をやり、大学に戻ってからも、臨床と研究に従事してきました。臨床と研究、それぞれを経験し、双方の重要さ、面白さをわかり、今の道につながったと思います。

今のやりがいと目標をお聞かせください。

 本質的には臨床医ですから、患者さんを診療させて頂いて、「診てもらってよかった。」「治ってよかった。」とおっしゃって頂いたときの喜びというのが一番にあります。 
一方で、医学が進歩しても未だに治せない病気もあり、それをどうにかしたいという気持ちも強くあります。研究の結果がでたときは少しでもその目標に近づけたのではないかと大きな喜びを感じますね。
 目標は、大きく言えば医学の進歩に貢献することです。そして臨床面でも研究面でもそれに寄与する若い人の育成ですね。臨床面の充実は当然のこととし、大学である以上、研究にも基軸をおいていきたい。そして私の教室は臨床の教室ですから、臨床に即した研究を行っていきたいと思います。
 

学生にメッセージをお願いします。

 講義を楽しく受け、そしていろんなことにチャレンジしてください。社会人になると自分のためだけに時間を使うことは、なかなか難しくなります。今、自分のためだけに使える時間はとても贅沢で素晴らしい時間です。
 それから、医学に興味を持ち、入学を希望されている皆さんへ、医学は人間の命を預かる重要な学問であり、人類へ直接貢献できる学問です。人間の健康ということを通じ、政治、行政、法医学、衛生、公害問題といった多方面での職種につながっていきます。そしてたくさんの人が、それぞれに高い専門性を持ち活躍しています。
 九州大学では研究出来る場も用意されています。そういうこともイメージして頂きたいと思います。

北園教授について

北園 孝成 教授
医学研究院 臨床医学部門 内科学講座 病態機能内科学分野
趣味は読書と料理。出張の際の搭乗の待ち時間などで、推理小説を読まれているそうです。米国留学時代に日本のお菓子を恋しく思い、始めたお菓子作りは、計量、攪拌などの手順が、実験と同じだなと感じられるそう。休日に作られた料理をご家族で楽しまれるのが何よりリラックスする時間。
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